油断一秒、「怪我」一生?

「油断一秒、怪我一生」という言葉は、日本語と中国語における意味の違いを語る上でよく取り上げられるそうです。

 

 中国の訪日代表団が日本の工場を見学し、工場の壁に掲げられているこの標語を見て、日本の工場では従業員に対して非常に厳しい指示を出していると大変驚いたとのことです。

 

 「油断」という言葉は中国人には「油を断つ」、即ち「油を止める」との意味にしかとれません。中国語で「油を断つ」は「断油」、正しくは「停止供油」ですが、「油断」であっても「油を断つ」以外の意味を想像することはありません。

 

 次に「怪我」ですが、中国語の「怪我」は「怪」が動詞、「我」が目的語で、「私のことを責める」という意味になります。

 

 したがって「油断一秒・怪我一生」は中国語で「若我停止供油一秒钟,你可以怪我一声」を意味し、「もし私が油の供給を一秒間止めたら、私を一生責めてもよい」となります。

 

 このことから「油断」は日本語であって、中国から伝来したものではないということが分かります。「油断」とは”気を許して、注意を怠ること”であり、その語源を調べると大般涅槃経に「王勅一臣,持一油钵,经由中过,莫令倾覆,若弃一滞,当断汝命」という一節があり、これは「王の臣下に油の入った鉢を持って歩かせ、決っして鉢を傾けてはならない、もし一滴でも油をこぼせば、即座に命を絶てと命じた」との意味なので、ここから「油断」という言葉ができたと推察されます。

 

 一部では古代の詩歌、物語で使われた雅語の“寛に”が変化したものとの説もありますが、大般涅槃経の話が語源となり、日本で「油と断」の合成語「油断」という言葉ができたと考える方が妥当ではないかと思われます。

 日本語の「油断する」は中国語では「疏忽,大意,疏忽大意,麻痹大意」などになります。

 

「油断」を使用した例文は下記の通りです。

 

    「彼らを油断なく見張る」は「不能有任何疏忽地监视他们」

    「我々は相手側の油断に乗じて勝利をものにした」は「我们利用对方的麻痹心理,夺取了胜利」

    「油断大敵」は「粗心大意害死人」あるいは「千万不要麻痹大意」

 

 なお「油断一秒、怪我一生」は「如果疏忽大意的话,一定会受一辈子」であり、標語で表現すれば「疏忽一秒,后悔一生」あるいは「疏忽大意,痛苦一生」となるでしょう。